
「ハリポタ」ファンにはカーストが存在する、と公言してはばからないお笑いコンビ「ラランド」のニシダさん。自らを「原作厨」と語り、原作を読まないとわからない面白さをYouTubeなどで熱弁してきた。映画で作品の魅力に気づいたなら、ぜひ原作の扉を開いてほしいと話すニシダさんに、正しい原作の読み方を教えていただいた。
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Profile

ニシダ
1994年生まれ、山口県出身。2014年、上智大学外国語学部イスパニア語学科入学。お笑いサークルで相方となるサーヤと出会いコンビ「ラランド」を結成。アマチュアで「M-1グランプリ 2019、2020」と2年連続で準決勝進出を果たし、一気にその名を広める。2021年にはサーヤを社長とする事務所「株式会社レモンジャム」を設立。個人では2023年『不器用で』(KADOKAWA)で小説家デビュー。2025年には第2作目『ただ君に幸あらんことを』(KADOKAWA)を上梓。読書好きとして知られ年間100冊を読む。

ハリー・ポッターシリーズ全11巻(静山社)
本当に「いい人」は、実はひとりもいない
幼少期、スペインやドイツで暮らしていた帰国子女のニシダさん。日本語と接する機会が少ない中、日本人学校の図書室で出会った原作『ハリー・ポッター』シリーズは少年ニシダにとって読書の楽しさを教えてくれた1冊だった。
「出会ったのは、小2のころ。当時、日本語版は4作目まで出ていて、図書室にも全冊が揃っていました。1冊がハンバーガーくらいの厚みがあって、自分はこのボリュームを読破できるんだという快感もあり、一気に読んだことを覚えています。ファンタジックな魔法の世界だとか、選ばれし少年が巨悪と戦うというストーリーがシンプルに面白かった。シリーズを追うようになってからは、自分も年齢を重ねていくわけです。そうすると次第にあれ、このお話って本当にいい人ってひとりもいないんじゃないか、ということに気づくんです。いい人なのかなと思ったら、屋敷しもべ妖精に対してめちゃくちゃに厳しかったり、実は陰湿ないじめをしていたりとか。そうか、人間というものは多面的なんだ、全方向にいい人なんて存在しないんだ、ということに気づくんですね。そして、登場人物を単純化せず人間とはかくも複雑なものだと描いていることに、この物語の本質的な面白さがあるんじゃないか、とわかるようになっていきました」
それぞれのキャラクターにある背景を知った上で物語を読み進めるとより面白く読めるとニシダさんは言う。
「赤ちゃんのハリーを預かるマグル(魔法の力をもたない普通の人々)のダーズリー家ひとつとっても、映画と原作では印象が異なります。育ての母のペチュニアは、ハリーの母であるリリーの姉で、魔法のことを嫌っています。映画では、“主人公を疎ましく扱ういじわるな人物”という鼻持ちならぬ存在としてしか描かれていませんが、原作では、ペチュニアはひとり寂しさを抱えていたことを描いています。妹だけに魔法の才能が開花し、両親の関心もそのことばかり。実は、ペチュニアが子ども時代に“私もホグワーツにいれてほしい”とダンブルドアに手紙を書いていたこともわかります。それを読むだけでも、ペチュニアの解像度がグッとあがる。大好きな妹が、魔法の世界に奪われ、自分は受け入れられず、あげく魔法によって殺されてしまった。そりゃ、魔法界が嫌いになるよな、と理解できる。ペチュニアは、それなのに魔法で面倒を起こすハリーを引き取る決断もしている。原作からは、彼女の中にある情みたいなものまで読み取れます。
これに限らず、他のどのキャラクターもわかりやすい一面だけで描くことはしてないんですよね。みんなちょっとずつダメだったり、イヤなところがある。ダンブルドアだって、万能なメンター的存在としてだけ描くのでもいいのに、ハリーと出会う以前の過去にあったことをめちゃくちゃに引きずっているし、執着していることがたくさんある。その結果、してはいけないことをしてしまい、自分の命を縮めるような事態まで招いている。それに、ダンブルドアはシンプルに人が傷つくようなことも結構ズケズケと平気で言いますし。でも、物語を動かしているのは、そういうそれぞれの想いや言葉。それをより深く理解できるのが原作なのかなと思います」
映画で観た好きなシーンを小説で追体験&補完してみる
全7巻ある小説シリーズは、どのように読むのがおすすめなのだろう?
「とにかく長いですから。しかも『炎のゴブレット』以降は、上下2巻ずつです。順当に『賢者の石』から読み始めたら、絶対に途中でくじけてしまいそうな長さです。もし、すでにある程度映画を観ているのであれば、好きな映画のエピソードから読みはじめるのでもいいんじゃないかなと思います。僕は、物語がクライマックスに向かう『謎のプリンス』『死の秘宝』が好きで、結構このあたりを繰り返し読んでいます。この分厚い上下2巻を、2時間ちょっとずつの映画におさめるために、映画ではストーリーを追うことに終始して、説明不足なところがあるのも否めない。だから、映画でこのシーンのこれはどういう意味? どうしてこういうことになったんだろう? と疑問に思ったところがあれば、その場面を原作で読んで補完するのもいいと思います。セブルス・スネイプの過去を知る『ハリー・ポッターと死の秘宝(下巻)』の『プリンスの物語』の章だけでもぜひ読んでみてほしいです。スネイプ先生の過去を知り、二重スパイという道を選ばざるを得なかった彼の複雑な事情がわかり、これまでのエピソードの伏線が実に見事に回収されていく。なるほど、そういうことだったのかと唸らされると思います」
ダンブルドアの言葉から人間味を感じる
原作を読み込めば読み込むほどに、物語の魅力に気づける「ハリー・ポッター」の世界。ニシダさんの今、ここを読んでほしいというポイントは?
「原作における、屋敷しもべ妖精の扱われ方ですかね。シリウス・ブラックが死んだときにダンブルドアが『あいつが死んだのは、屋敷しもべ妖精に優しくしなかったからだ』的なことを言う場面があるんです。ハリーの父親代わりだったシリウス・ブラックでさえ、屋敷しもべ妖精を下にみて冷たくあたった。第4作『炎のゴブレット』では、ハーマイオニーは『屋敷しもべ妖精解放運動』を起こします。これも映画にはないシーンです。人間界からきたハーマイオニーからみると、ホグワーツの地下やそれぞれの魔法使いや魔女の家で奴隷のごとく、こきつかわれている屋敷しもべ妖精が哀れなんですね。魔法界では、古い慣習で彼らがいることは何もおかしいことではない。その感覚の対比が原作ではとても効いているんです。ハリーも人間界で育ってますから、屋敷しもべ妖精とかケンタウロスとか、異種族の魔法生物に対して偏見がなく公平に優しいんですよね。そのことが結果、ハリーの戦いをいろんな場面で有利に導いていく。これ結構、物語の大事な縦軸なんじゃないかなと思います。魔法省には、魔法界の異なる種族間の協調と平和を象徴する『魔法族の和の泉』なんていう記念碑もあるけれど、実は魔法使いたちは異種族を下にみている。現実世界ともリンクするような社会の構図が魔法界にもあり、それが物語にも影響を及ぼしているのが面白いです。
あとは、ダンブルドアは基本いつもいいことを言うんですが、たまに“チャドリー・キャノンズが今年のリーグで最下位になるのと同じくらい確実だな”みたいな、なんか気が利いてるっぽい、イギリス人的なシャレを言うのも見逃さないでほしいです。原作を読んでいる人は、クィディッチのチームのひとつ、チャドリー・キャノンズが万年ビリの弱小チームだと知っています。つまり、“こりゃ今年、中日が優勝するくらい難しいぞ!”と野球好きジジイがチームイジリをしているのと変わりない発言です。ダンブルドアも、そういう俗っぽい、おっさんぽいことも言うんだな、と驚かされます。J.K.ローリングが、こうやって細部に宿らせている物語のリアリティや奥行きがたまらないですね」


































